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文中に白華山養源禅寺とありますので調べたところ文京区にある白華山養源寺ではないかと思います。
また篁園と書かれており、この寺に野村篁園の墓があることが判りました。
内容が一致しましたので野村篁園の墓碑と特定致しました。
野村 篁園(のむら こうえん、安永4年(1775年) - 天保14年6月29日(1843年7月26日))は、江戸時代後期の儒者、漢詩人。名は直温(なおあつ)、字は君玉、通称は兵蔵。別号に静宜軒・西荘・霽荘・玉松山叟・紫芝山樵があり[1]。法号は仁譲院である。安永4年(1775年)、幕臣・野村直超の子として江戸に生まれる。古賀精里の門に学び、寛政9年(1797年)に家督を継ぐ。享和元年(1801年)に昌平黌教授方出役。文化14年(1817年)に儒者見習となり、天保3年(1832年)儒者(両番上席)となり、浜松藩の儒者としても勤める。天保14年(1843年)に没す。享年69[1]。出典:ウィキペディア
広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。
台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。
拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。
拓本が取れるという広瀬氏の人脈に敬服致します。
拓本もまた文化財だと思います。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。
サイズは38.6×89㎝です。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケや破れがあります。
発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。