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酒折宮(さかおりみや・さかおりのみや)は、山梨県甲府市酒折にある神社。旧社格は村社。
『古事記』・『日本書紀』に記載される日本武尊の東征の際、行宮として設けられた酒折宮に起源をもつとされる神社である(ただし後述のように異説もある)。また、その説話にちなみ連歌発祥の地とされている[1][2]。
当社には多くの国学者、文学者が訪れた記録が残されており、1686年(貞享3年)に俳人の大淀三千風が鎌倉より訪れたものが確認できる記録では最も古い(大淀『日本行脚文集』)。大淀は駿河国から都留郡吉田(現 富士吉田市)から富士山へ登山し、駿河大宮から富士川沿いに身延山へ詣で、甲府柳町に止宿している。甲府近郊では酒折宮のほか甲斐善光寺や武田氏居館跡などを訪ね、句を読んでいる。
さらに1791年(寛政3年)、国学者の本居宣長[注 1]は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年(天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』は『酒折祠碑』と並んで建立され、2つの碑文は現在も酒折宮境内に残っている。出典:ウィキペディア
酒 折 宮 壽 詞(さかをりのみや ほぎごと)
なまよみの此の甲斐國(かひのくに)の此の酒折宮(さかをりのみや)はもよ。 纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)の天下(あめのした)しろしめしし天皇命(すめらみこと)の大御代(おほみよ)に、倭男具那(やまとをぐな)倭建男(やまとたけを)の天下(あめのした)の益荒建男(ますらたけを)神建男(かみたけを)と皇子(みこ)のいたるところ選(えら)び賜ひて、千引石(ちびきのいは)の重き難(かた)き 大命(おほみこと)を重浪(しきなみ)の頻蒙(しきかがふ)らして、西國(にしのくに)の无禮(いやなき)熊曾(くまそ)を言向(ことむ)け賜ひ東國(ひがしのくに)の荒振(あらぶ)る蝦夷(えみし)を和(やは)し賜ひて、神とも神と、うつそみの世に無比(たぐひな)き建(たけ)き由々(ゆゆ)しき 大御稜威(おほみいつ)の天下(あめのした)に萬代(よろづよ)に天津日(あまつひ)と照り耀(かがや)かす 宇豆(うづ)の大御子(おほみこ)倭男具那(やまとをぐな)倭建神命(やまとたけるのかみのみこと)の、事訖(を)へて 大事(おほごと)竟(を)へて 蜻蛉嶋(あきつしま)倭國(やまとのくに)に還(かへ)ります時、衣手(ころもで)の常陸(ひたち)を過ぎ、足柄の御坂(みさか)を越えて、御篶刈(みすずか)る科野國(しなののくに)の御坂(みさか)の神を平らげむと過(よぎ)りませる其の道の其の行宮(かりみや)と、神(かむ)ながら逗(とどま)りまして、後の世に片歌(かたうた)の續き歌の事の始めと仰(あふ)ぐなる新治(にひばり)筑波(つくは)の大御歌(おほみうた)を讀まし賜へる其の宮所(みやどころ)蹟處(あとどころ)と、百繼(ももつぎ)十嗣(とつぎ)御世(みよ)は移れど千年(ちとせ)五百年(いほとせ)歳(とし)は經(へ)ぬれど、宜(よろ)しなへ宮は失(う)せせず跡は絶えせず、今行(ゆ)く前(さき)も、ひさかたの天津日(あまつひ)と天津日嗣(あまつひつぎ)と、倭男具那(やまとをぐな)倭建神命((やまとたけるのかみのみこと)の無比(たぐひな)き建(たけ)き御稜威(みいつ)の大御名(おほみな)と共々(ともども)に諸共(もろとも)に長らへて傳はりて、萬代(よろづよ)に常(とこ)とはに弥高(いやたか)に弥廣(いやひろ)に照り行(ゆ)かむ榮(さか)え往(ゆ)かむ宮處(みやどころ)蹟處(あとどころ)。 寛政の三年といふ歳(とし)の正月 | ||
伊勢國(いせのくに)飯高郡(いひたかごほり)の御民(みたみ)平の朝臣(あそみ)宣長、 畏々(かしこみかしこ)み壽(ほ)ぎ白(まを)す。 弟子 平の朝臣(あそみ)篤胤、 齋(いつきまつ)り謹(つつし)み書す。 出典:小さな資料室 広瀬栄一氏は、石岡市高浜にある酒造会社の元社長で考古学文学に造詣が深く文人との交流も数多くあります。 台東区根岸にある子規庵の戦後の再建をした寒川鼠骨との交流や再建を経済的に援助した人です。 拓本は広瀬氏が収集したものしかないと思われ大変貴重な史料です。 拓本が取れるという広瀬氏の人脈に驚嘆します。 拓本もまた文化財だと思います。 多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。 写真にあるスケールは全長17㎝です。 サイズは96×168㎝です。 状態は経年によるシミヤケや破れがあります。 発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。 |