願いがかなった場合は、人間世界と同様に礼節を重んじ御礼参りをしなければなりません。また、続けて御利益を得たい場合は、定期的に御祈祷を申込まれるか浴油会などに入られると良いとされます。
遠い昔、古代インドのヒンドゥー教における仏道修行者を誘惑するガネーシャ神がまだ難羅山に陣取って魔神として暴れ回っていた頃、他の神々から憎まれ、毒物を喰らわされ苦しんでいた。それを見た女天である十一面観音様がこれを哀れみ、ガネーシャ神に仏法に帰依する事を誓わせ、その山中にある油の池に連れて行き、その油を加持してガネーシャ神の頭より灌がれたところ、ガネーシャ神の悪い毒物(煩悩)が除かれ、同時に悪神が善神となった。それを喜んだガネーシャ神は十一面観音様と抱き合い、力を合わせて世の中の苦しんでいる者を救う誓願を立てられたところから、歓喜双身天(象頭人身の男女天の抱擁身)となられたという。これが、浴油祈祷が聖天尊への最上の祈祷とされる所以である。
浴油供祈祷
歓喜天浴油法とは、密教に伝わる秘法中の秘法の一つで聖天様を本尊とし、聖天尊誕生の縁起の通りその御神体に油を浴して行い、本来お持ちである強大なお力を発揮していただく祈祷法です。
聖天様の、信者のあらゆる望みをかなえ信心を得るという大加持力によって、信者方々の悩みや祈願に対し道を切り開く手助けをしようとするものです。
歓喜天は梵名(ぼんめい)をナンデイケーシユヴァラといい、歓喜自在天・難提自在天・大聖歓喜天と訳されています。一般には、聖天(しょうてん)と呼ばれる略名で呼ばれることが多く、諸願をかなえる力も強いけれど、反面、約束を守らなかったりすると、大変恐ろしいといわれている天部の尊です。
歓喜天はもともとインド古代神話におけるガナパチ神(しん)であるといわれ、ガナパチはヒンドゥ教の三神の一つであるシヴァ神(しん)とその妃のパールヴァティの間に生まれた子で、父シヴァ神に従う大自在天軍を統帥する大将でもあったといわれています。
歓喜天の信仰は、災いから避けのがれることを祈ることがインドでは盛んで、物事を始める前に事の円満成就を歓喜天に祈りました。仏教に歓喜天がとり入れられると、仏法(ぶっぽう)を擁護し、衆生に利益を施して諸事の願いを成就させる善神として信仰されるようになりました。特に、密教において歓喜天信仰がさかんに重視されるようになり、造像もさかんとなりました。
歓喜天の姿は、頭部が象の形であらわされ、いわゆる象頭(ぞうとう)人身の姿をしています。その姿には大きく分けて単身像のものと、双身歓喜天として二尊(にそん)が抱きあう姿のものがあります。
単身像には、手の数が二臂、四臂、六臂、八臂、十二臂の五種類があります。代表的なものとしては、胎蔵曼荼羅最外院の北方に配されている歓喜天(毘那夜迦)で、左手に大根を持ち、右手に斧の様な法具を持って座っています。
次に双身像ですが、種々の異形像がみられますが、その代表的な姿を紹介しますと、象頭人身の二天が互いに相手の右肩に面を載せて相抱き正立する姿を示すもので、女天は頭に天華冠(てんかかん)を付けて男天(だんてん)との区別がなされています。この女天は観音の化身と説かれるのが一般的で、毘那夜迦(びなやか)の王である歓喜王が衆生に害を及ぼそうとした時、観音菩薩が大慈悲心をおこして毘那夜迦(びなやか)婦女の身となり、歓喜王の欲望をおこさせ、毘那夜迦婦女の身体に触れるためには、未来の世が尽きるまで仏法を守護すること、修行者達を守護すること、今後衆生に対して悪事を働かないこと等の約束を取り付けたうえで抱きあったとの物語が伝えられています。